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神に圧倒されて (A Story of Being Overtaken by God)

巡回説教者が聖霊の満たしについて力強いメッセージをしました。説教者は御言葉の奉仕の後、すぐに発たなくてはならなかったため、若い賛美奉仕者が心地よいテノールで締めくくりの歌を歌い始めました。しかし、その賛美をほんの少し歌ったところで、奉仕者は喉を詰まらせてむせび泣き始めました。彼は「自分に何が起こったのかわかりませんでした。でも自分の人生と働きの上に聖霊の満たしが必要だということは分かっていました。」と言っています。彼はくずおれてひざまずき、「神様、私の罪、冷淡さ、霊的なことへの無頓着さ、批判的態度をお赦し下さい。主よ、あなたの聖霊によって新たに満たしてください。」と声を上げて祈りました。

突風で稲が倒れるように、全会衆は聖なる神の御前にひれふしました。聖霊の風がすべての人の心に吹き込み、罪に目を開かせたのです。その中には長い間忘れていた罪もありました。人々は涙を流しながら「神よ、あわれんでください!赦してください。聖めてください。」と声を上げて祈りました。そして声を震わせながら、自分の罪を告白するために次々に立ち上がったのです。

会衆は時間を忘れました。神の臨在の聖なる静寂の中で、集会は何時間も続きました。会衆は聖霊に包み込まれていたのです。

この時の賛美奉仕者は後にこの体験を書きしるし、「神の炎との接触」と呼びました。

炎は神と触れ合ったとき当然起こるものです。ですから「神は、仕える者たちを炎とされる。」(ヘブル1:7)と聖書に書かれているのです。炎は教会に推進力を与えます。燃えている人はじっと立っていることはできません。エマオに向かっていた二人の弟子たちは見知らぬ人の話を聞いた後、互いに「道々お話しになっている間も、聖書を説明してくださった間も、私たちの心はうちに燃えていたではないか。」(ルカ24:32)と語り合いました。火が燃え始めたのです!

この後、使徒たちも同様にイエスの「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。」(マルコ16:15)という最後の言葉に影響を受け、稲妻のようなスピードで大陸を横断し、手当たり次第に火をつけたのです。

神と触れ合った人のミニストリーは最新の発明のようにユニークです。砕かれたつぼの中のギデオンの燃えるたいまつのように情熱が内で燃えているのです。

神に委ねるとは神の愛の炎に自分の灯心を差し出すようなものです。ろうそくは炎に触れるまでは冷えています。光はろうそくのものではありません。私たちが神に完全に委ねる時、神がご自身を与えて下さるのです。その後、私たちは世界に光と火を持って行くのです。

私の祈り

若い賛美奉仕者のへりくだりによって神の御霊が人々を圧倒した物語には特別な感動を覚えます。それはこの若者が私の父だったからです。

神ご自身と神の炎に触れたいという父の生涯の情熱によって、私は自分がこれまで歩んできた道筋を歩むことになったのです。炎は炎を生み出します。炎が解放される時、炎に触れるすべての者が影響を受けるのです。

アグローに対する私の祈りは、私たちが決して神の炎との接触を失わないことです。その接触によって私たちは最初に火をつけられたのです。神は私たちの中にご自身の一部を見たいと願っておられます。そしてそれは炎と光なのです。

2013年9月7日 翻訳:今野和代

Gigantes, langostas, favor y Dios
Un panal de poder
 

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